文芸誌の賑わい












いま、新しく発刊される文芸誌が多い。





それは、文学が今盛り上がっている、というよりは、存在の危機から来るものに近いのだと思っている。



文学は、それ自体役に立つものではない。



役に立たないものほど、社会に余裕のないとき、切り捨てられていく。多くの人が離れていく。



「文学で飯は食えない」のだ。





危機に瀕しているものの力は強い。文学は抵抗する。言葉という最も弱い武器で戦っているからこそ、抵抗する力が強い。実体はなく、決して直接的に利益をもたらさなくても、いつでもどこでも誰もが使うことができて、耳にすることができる、読むことができる、様々な方法で人と人とをつないでいく、そうした力を感じさせる。














僕は、文学が好きだ。



自分のよく知らない世界のことを教えてくれる。ひとつのことを突き詰めて考えた研究者や、鋭い視点で日常のなかのかけがえのないものを描き出す作家、さまざまな人が普段生きているだけでは得られない面白さや新しい発見を教えてくれる。





それらは、直接的には日々の生活の役に立たなくても、日々の慌ただしさを乗り越えるのに、辛い気持ちを抑えて新しい気持ちに切り替えるのに、役に立ってくれる。日々の日常とは違う、もう一つの世界を作り、想像することで、日常の嫌なことはかき消されて、またなんとかやっていける。そんな力がある。





さまざまな文芸誌には、いろんな立場の人がそれぞれの思いで執筆をしている。



専門家や作家もいれば、書店員、新聞記者、主婦、パートのおばさん、など特別な知識を持たない人たちも参加していて、僕たちと同じ目線で生きる人の思考に触れることができる。



そのばらばらなものを一つにまとめることで、文芸誌に掲載されている主婦の文章も、有名な作家の文章も同じように、等しく一つの創作物として生きてくる。文章の技巧など関係なく、面白いものは面白い、と読んでいくことができる。





危機感のなかにある文章は、とても逞しくて力強い。そして、文学に対する強い思いに溢れている。



そんな文芸誌を少なからず、応援したい。

















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