あとは死ぬだけ
遺書
これは、遺書だ。
とても強く自分を持って、生きてきた女性の。
無駄だらけの人生だったが、それなりに私には意味のある人生だった。私の思考や言葉が誰にも何も伝えず、跡形もなく消え去るものであったとしても、少なくとも私にとっては意味があったのだ。そして、本人にとって意味のある人生だったなら、それで充分なのではないか?
中村うさぎ『あとは死ぬだけ』p.161
買い物依存症、ホスト狂い、美容整形手術、ゲイコミュニティへの出入り、デリヘル嬢。フリーライターとしての立派な職業を持ちながら、いろいろな場所に迷い込み、苦しんだり、あるいは興味深く楽しんだり、そうして、いろんなことを考えてきたのだろう。
考える人生は、辛い。
とくに、生きづらい現代では、その多くは悩みになり、それに苦しめられる。
この世界のこと、他者のこと、目に見えないもののこと、いろんなものに疑問を持たずに生きるのは楽だ。
社交辞令や他人の調子に任せて、自分の言葉を持たずに生きるのは楽だ。
多くの人が、当たり前だと思っていることに疑問を抱き、自分で考えて出した答えに基づいて行動する人は、たいていの場合、「変な人」だと認識される。
「自分の目に映っているものが、他人にも同様に見えているとは限らない。」
同じ経験をしていても、全く異なる経験として捉えているかもしれない。
想像力。行き過ぎれば妄想。
他者を意識して、自分を過大評価せず、私について、関係性について考える。
考えすぎるのは、疲れるし、たぶん辛くなる。
彼女もそういう人だったんだと思う。だから、とても共感できる。
自分の言葉を持っている人は、強い。
悩んで、苦しんで、心を病んで、薬を飲んでいたとしても、やっぱり強い人だと思う。
それは、流れに抗うことができる強さだ。
だから、うまくいかないこともある。
あとは死ぬだけ
このタイトルと同じことを、思ったことがある。
というか、今も思っているし、思いながら生きている。
これほどまで「私」を意識して、世界に身を置いて生きてきたわけでもなく、
たくさん流されて生きてきた。
人並みに楽しいことをして、人並みにライフステージのそれぞれの段階を超えてきた。
仕事して、結婚して、子育てし、マイホームを持った。
自分の生きづらさは、そのライフステージを一通り経験していることとは全然関係ないけれど、そんなに順調に人生歩んでいるのになぜ?と思う人もいるだろう。
それこそ、他者を意識しすぎている無駄な自意識なのだけれど。
それでも、いつも「あとは死ぬだけ」と唱えて生きている。
あるときを境に、自分の人生はあとは「ゆっくりと降りていく」だけだと感じてしまうようになった。
30歳ちょっと過ぎたくらいで、そんな風に思うのはおかしいのだろうか。
自分の目で、自分を見ることには限界がある。
だから、うさぎ氏は、自分の主観に信用を置いていない。他者という装置に依存した。
「私」というものの存在を知りたくて、絶えず意識してきた彼女にとって当然の帰結かもしれない。
自分の「生きている意味」を考えている人は少ないのだろうか。
僕にとっては、自分の生きる意味を考えることが、「私」を知ることそのものだった。
他の誰でもない「私」の人生は、他の誰にもない価値を持っているのか。代替可能なものであるのならば、その「私」には意味があるのか。それとも、同じような価値を持つことが、素晴らしい人生になるのか。
他の誰にもない価値、を目指して生きてきた。
それが、自分の生きづらさの根源だ。
それを求められているような気がして、いつまでもそんなものは自分には無い気がして、ずっと苦しんでいた。いまも、その呪いに悩まされているかもしれない。
この先、いままで経験した幸せ以上のものはないだろう。
ゆっくりと降りていく人生を、歩んでいくだけ。
「あとは死ぬだけ」でいい。
そう思うことで、「私」という地獄から開放されたいのかもしれない。
遺書を残すとしたら、こんな感じだ、と思った。
自分の言葉は、たぶん後世に残らない。
だけど、自分の人生くらい、自分の言葉で、自分のためだけに残しておきたい。
ざらざらとした本の感触から、そんな気持ちが伝わってきた。
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