料理の手順
手順、というほどの話でもない。
積み木遊びをするとき、絵を描くとき、頭に最初に重い描いた通りのものをそのとおりに作っていく、描いていく、ということができない。
作り上げているうちに、形が見えてくる。描いているうちに、具体的なものが仕上がっていく。
そんなふうに、することが多い。
料理も、同じなのだ。
材料を並べる。それらを切る。火を入れる。味をつける。
それぞれの工程のなかで、気まぐれに、そのときの気分に合わせて、こうしよう、と決めていく。
にんじんの切り方一つ、目方一つで、これは炒めよう、煮物のほうがいいかも、やっぱり味噌汁を追加しよう等と、決めていく。
どういう風に切るかさえ決めていない。そのときの手の動くままにやっている。
材料を切り終わったら、フライパンや鍋にそれらを入れる。
炒め具合によって、そのまま塩を足したり、あるいは酒、水を足したりする。
少し水っぽくなったら、片栗粉を入れて中華風に、水の量が多ければ、砂糖や醤油を加えて和風に少し煮込む。
味付けも、炒めながら考える。
塩、醤油、オイスターソース、中華だし、コンソメ、バター、オリーブオイル、焼き肉のたれ。
冷蔵庫を開けて、目についたものを取り出すことが多い。
そうやって、できた不思議な炒め物は、ちょっと独特な味だけど、家族には好評だ。
そんなふうにして、料理を作っているので、「何を作っているの?」と訊かれたら、困る。
自分でも「何を作っているか分からない」からだ。
そして、途中から手を加えられると、その後はこちらは手出しできない。
妻は初めから完成形をイメージしながら作っているので、僕がそのとおりに仕上げていくのは難しい。
もちろん、レシピどおりに作ることもある。カレー、シチュー、煮物、鍋。など。
クックパッドは、いつも参考程度に見ている。
材料を検索窓に入れて、出てきた料理を眺め、いまの自分はどんな味付けのどんな料理が食べたいか、イメージを膨らませる。ある程度のイメージができたら、それに向けて作る。
そのとおりに仕上がることは少ないけれど。
とにかく、自由に料理をしているときは、楽しい。
だから、その自由を邪魔されたくないし、キッチンが聖域たる理由でもあるのだ。
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