東京に似ている












大阪の街を歩いていると、ふとしたときに、ここの景色は東京に似ている、と思うときがある。





大川沿いの歩道を歩いていると、墨田川沿いのよく舗装されたそれを思い出す。



北浜あたりの店の並びが、蔵前のアノニマスタジオに続く道に似ている。地形もそっくりだ。



千里山の住宅街に、大田区の坂の多い、でも懐かしい雰囲気を思い起こす。





道頓堀のどぶの匂い、若者や外国人、たくさんの人で賑わう様子は渋谷そっくりだ。



そこにはしっかりツタヤが鎮座し、2階のカフェから行き交う人を眺めることができる。














大阪が、東京の真似をしているわけでもないし、その逆でもない。



自然と街ができていくなかで、似ている場所が生まれたのだと思う。



人が集う場所の共通点。類似性。



僕が感じたのは、そんなものなのかもしれない。









東京の街は、たくさん歩いたし、自転車で駆け回りもした。



この大きな街に借り住まうわずかのあいだに、その記憶を残しておきたかった。





すると、大阪でもそれを思い出すことができた。





視覚、嗅覚、聴覚、さまざまな刺激を受けて、僕らの脳は反応し、過去の記憶を引っ張り出す。





そのときに一緒にいた誰かを思う。



そこで出会ったモノ、コトのことを思う。



ここにも同じものがあるんじゃないか、と期待してしまう。





街の記憶は、違う街のどこか似ている部分と混ざり合い、少しずつ変わっていくものなのかもしれない。









いま、住んでいる街は、少し前の武蔵小杉によく似ている。



そのうち、タワーマンションや新駅ができて、すっかり変わってしまうのだろうか。





そう思うと、新しい武蔵小杉を見たときのように、少し寂しい気持ちになった。


















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