夜の民俗学者
想像力
誰かの気持ちを考えることができること。
相手の立場や属性にあわせて話題を変えられること。
いろんな趣向、性向の人がいて、いろんな思想・信念を持つ人がいて、
いろんな風俗・習慣があることを知っていること。
そんな、想像力を持つには、知識と経験が必要だ。
どうして、本を読むの?
どうして、歴史を学ぶの?
どうして、言葉を知るの?
そんな問いに、僕はこの「想像力」を養うため、と応える。
バランス感覚を持って、多くの人とつきあって、社会に馴染んでいくには、想像力が不可欠だ。
たくさんの人と出会い、遊び、一緒にいることで得られる経験からも、それらは養われる。
だから、たくさんの場所を歩いて、旅をして、見ることも、とても大切だ。いろんな場所にいる、それぞれ違った顔を持つ人たちと出会う経験は、直感的に理解を進めてくれる。
一方で、そうした出会いだけで得られる経験の限界もある。
そんなときに助けてくれるのが、本だ。
本は、自分がただ暮らしている、生きている、歩いているだけではとうていたどり着けない深く、遠い場所のことを教えてくれる。
いい本は、たくさんの時間をかけてこの世界のあらゆることを調べ尽した先人たちが、より深いことをなるべくわかりやすい言葉で伝えてくれる。
そこで、得られた知識は、身近な暮らしのなかで「想像力」となって間接的に役立ってくれる。
それはときに、直截的な知識以上に、役に立つものになる。
技術
想像力は、その人のもつ技術や、職業能力からも得られることがある。
人事部で何千枚もの履歴書を見たり、税金や資産の書類を見ることで、職業や会社名とおおよその年齢から、その人の年収を類推することができるし、その年収から暮らしぶりや生活習慣を想像することができる。
いろいろな業界に出入りすることで、その業界特有の商習慣や言葉が身に着き、そうしたことを口にすることで親近感を抱かせることもできる。
履歴書一枚で、言葉一つで、ただの数字で、人を判断することはできない。けれど、そこにたどり着くまでのライフヒストリーを想像することができれば、その無機質なものから確かな人生の歩みを感じることができる。
こうした想像力は、社会を生き抜くための狡知であり、技術の一つだ。
とりわけこうした技術に長けているのが、夜の仕事をしているホステスたちだと思っている。高級な繁華街にある寿司屋でもいい。
そういった場所では、そこでしかなされない会話が必ずある。
一般に吐露されないような経営者の本音が聞こえることもある。
客からしてみれば、その場で一度きりだけの相手だからぶつけたい感情や悩み、その場だからできる折り入った会話、あるいは誰も聞いてくれないたわいもない言葉、そうしたものを投げることができる。
ホステスや寿司職人は、それらを丁寧にくみ取り、それぞれのやり方で共感を示す。実に多様な客を相手にしている一方で、共感すべき聞き役、傍観者としての役割を熟知している彼らは、その技術をもって相手をもてなす。その共感の技術は、相手の会話やしぐさ、立ち居振る舞いといった動作や、肩書き、年齢、連れの人数といった情報、そしていまこの場に来てこの話をしているということから、「今なにが求められているか」を想像する力によってもたらされる。
そうした技術は、身体知として職人のなかに備わり、さらに磨かれていく。
「夜の仕事」と言ってしまえば、下世話な職業に聞こえてしまうかもしれないが、もっと彼らに敬意を表したく、「夜の民俗学者」と呼びたい。
だから、もっと彼らの知っている世界を、聞いてみたい。
どんな面白い話が待っているだろうか。
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