発酵する文化
文化の生まれる場所
一度、東京を見てみたい。
東京とその周辺の人口を合わせたら、日本全体の約4分の1。
そんな場所を知らずにいたら、日本の「ふつう」なもの、みんながいいと思っているもの、
そうしたもののことが分からないような気がして、上京した。
そんなことを思いだすような、記事を読んだ。
東京には、面白いものが多い。
面白いものを共有できる人が多い。
一緒になって面白いものを探し、楽しんで、広める。
そうやって、文化が生まれ、広がっていく場所だと思った。
小さなライブハウスをいくつか頻繁に出入りしていると、必ず同じお客さんに出くわす。
お客さんのなかには、別の場所でライブをしていた演者がいた。
演者も聴衆も入り混じって話ができて、つながりが生まれる。
そのつながりから、また新しいイベントができて、つながりの広がりとともに、アーティストは徐々に売れていく。
だんだん存在感を発揮し、広がりを一緒に体感できる楽しさは、ここでしか味わうことができない、と思った。
一方で、そうしたイベント特有の「内輪ノリ」に嫌気がさすこともあった。
その音楽を知っている、趣味の合う好きな人同士で集まる居心地の良い場所。
その音楽が好きで、もっと知ってもらいたくて、みんなイベントをやっているはずなのに、同じような人しか来ない。
それがニッチなものであればあるほど、その規模には限界がある。
メンバーは固定化され、次第に一人また一人と気が付くといなくなっている。
そんなイベントも見てきた。
「細分化されすぎた東京の芸術」と表現されるところのものだ。
おじいさんやおばあさんも、子どもも来ない。いるのは20〜30代のクリエイティブ系の若者ばかりで、自分を軸として広がるクラスタだけが世界の登場人物になっていて、SNSのタイムラインにも、みんなが好みそうなフォトジェニックな展覧会の写真ばかりが並んでいる。それが狭いせまい世界の出来事だなんてことを忘れてしまうくらいに、タイムラインは一色に染まる。
もちろんその「一色」を突き詰めると、世界と繋がれる可能性もある。
http://milieu.ink/column/spac 塩谷舞 (@ciotan)
居心地のいい安心の壁を突き抜けるような「一色」はたぶん、殆ど無い。他の世界をたしかに意識している人が、地道に動いて初めて成立するのだと思う。
「文化の生まれる場所」である東京は、面白い。
でも、「日本一」の芸術が生まれるのは、ここではないのかもしれない。
文化が発酵する場所
所変わって、山梨県・甲府。少し東京を離れて、地方に目を向けてみる。
ここに、僕の好きな文化の例が一つある。
今は閉館してしまったが、浅草にアサヒアートスクエアという施設があった。
そこで、おそらく初めてかと思われる「発酵」と「音楽」を組み合わせたイベントが行われた。
そこには、山梨の味噌屋で生まれた3人の兄姉妹が、それぞれの自由な才能を活かして、そのイベントを中心となって作り上げていた。
長男は家を継ぎ、味噌を作りながらもその発酵文化を広めようと、東京の街に出た。
長女は、アートスクエアでイベントの仕事をしながら、バンドやソロで歌を歌うアーティストだった。
二女は、化粧品会社で働きながら、どこか実家の雰囲気に似た手作りのものに心惹かれているようだった。
当時のイベントを知る人は、たぶんほとんどいないと思う。
僕にとっても、たまたま近くに住んでいて、ふと面白そうだと思って見に行っただけのイベントだった。
しばらくして、アーティストの長女は、地元の甲府の町で、「こうふのまちの芸術祭」(http://kofuart.net/)というイベントを主催した。
残りの長男と二女は、このイベントで作り上げていた味噌の歌を引っ提げて、地元の山梨から全国に文化を発信していった。イベントを重ね、やがて発酵兄妹(http://yamagomiso.com/temae/)と名乗るようになる。
そんな、五味醤油店(http://yamagomiso.com/)の3兄妹。
彼らは、東京で文化を生み出して、地方でそれを醸成した。発酵していく過程のように、じっくりと。
自由な発想で、家業の味噌作りを文化として捉え、それを広めていく面白さが彼らの活動にはあった。
森ゆにさんの歌、小倉ヒラクさんのアニメーションで作られた「てまえみそのうた」は、子どもにも親しみやすいかわいらしさがある。
こうした協力者や支援者が次々と現れて、巻き込んでいく過程も、文化の拡がりを感じさせる。
今も、彼らはワークショップやイベント等を続け、発酵の面白さを伝えている。
https://www.youtube.com/watch?v=wG-yslfgw6I
彼らの活動の原点は、もちろん地元の甲府で長年受け継がれてきた味噌の技術と味だ。
その価値を見出してもらうために都市でそれを拡散し、文化を生み出し、再び地方に戻りそれを醸成させた。
核となるような文化の素は、多くの地方に転がっているかもしれない。
だけど、それを磨き上げていく過程には、都市の存在が不可欠だ。
多くの人がいて、興味を持ってくれるマイノリティが少なからず存在する場所。
そこで培ったものを再び地方に持ち帰ったときに、それが花開く可能性が生まれる。
都市から地方へ。
沖縄で、織物を学んだ、という長女の言葉が好きだ。
”誰かの日常は、べつの誰かにとっての奇跡みたいだ。”
アサヒビールメセナvol.27」2010 五味文子
彼女は、なんでもない「地元」にアートという緯糸を編み込んで、その良さを見出そうとしていた。
その日常のなかで奇跡を発見するのが、彼女にとってはアートだった。
織物に例えた、その掛け合わせは、都市と地方にも当てはまるような気がした。
都市という縦糸に、地方という横糸を絡ませ、独特の模様を編み込んでいく。
そこには、一色ではない、網目の面白さがある。
いくつもの偶然が重なり合う条件が必要になるのかもしれないけれど、ひとつひとつの条件を満たしていき、その土地でまた醸し続けていく文化が、もっともっといっぱいあるように思う。
そんな文化を、もっと見てみたい。
だから、地方で発酵する文化を見つけ出していく人がもっと増えるといいな、と願っている。
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