すきまのじかん



























”ゆうぐれどきの、すきまのじかんを しっていますか?”





この絵本はそんな一文からはじまる。





作者のアンネ・エルボーはブリュッセル出身の作家・イラストレータ。ボローニャ国際絵本原画展でも高い評価を得て、多くの国にその作品が翻訳されている。





日本では、ひくまの出版から6冊出されているものの、現在は出版社が倒産しているため、絶版。



それでも、その独特の柔らかい表情をした絵にファンが多い。





そのなかでも、この「すきまのじかん」はとりわけ人気で、僕も大好きな絵本の一つだ。



















すこし、子どもにはむずかしい話かもしれない。



昨夜、久しぶりに子どもが取り出してきて、寝る前に読み聞かせをした。





感想を聞くと、「よくわかんなかった」と。



とても曖昧な本だから、そうだと思う。





「分からないことが多いよね、でもそんな分からないものだから”すきまのじかん”なんだよ」と教える。





たいようのじかん と やみのじかん のあいだにあらわれる ほんのわずかなじかん。





すきまのじかんは、昼と夜のあいだのあわいの時間になることで、昼と夜の対立、急な転換、その暴力性を退けてやさしく包む。



そのほかの時間では、内気にひっそりと隠れている。





でも、すきまのじかんにも大切なものができる。





その美しさを言葉にあらわすことのできなかった彼は、ただそれをみつめ、そして何も書かれていない本のページに、一輪の薔薇を挟む。



はじめて会いたいと思う大切なものができたすきまのじかんは、アオサギに姿を変えて飛んでいく。それはもうひとつの「むこうがわのじかん」にいる夜明けのお姫様。よるのじょおうが眠りにつきはじめ、たいようのおうさまが目を覚ますまでのわずかなじかんに、そっと彼はお姫様をみつめる。





夜、ぼんやりとしたもやのあいだを、とおりすぎるすきまのじかんを私たちは見ているかもしれない。





そんな物語がここには描かれている。



















内気な彼の気持ちは、子どもにとって難しい。その”すきま”を感じることができるだろうか。





争いをきらい、けんかの間に入りながらも、ふだんは身をひそめている。



素敵なお姫様に出会っても、言葉がみつからず、ただ見つめている。



そのためにわずかなじかんを大切にする。





とても、やさしく、おだやかで、つつましい。





まだ、あかりをともすほど、くらくもなく



かといって ほんをよんだり、ぬいものをするほど



あかるくはない じかん。





ほんをひらいたまま、ページのなかの じは、ぼんやりとみえるだけで



ひとは、ものおもいにふけり、うっとりと、ゆめをみるのです。





それは、おおかみでなければ、いぬでもないような じかん。





かげのぶぶんは、まだほんのすこし かがやきをみせ、



じめんはくらく、そらは、ほんのりとあかるい



すべてのものが しずかな



あおいせかいの おとずれをまっているじかん。







かなしいような うれしいような まいにち、やってくるのだけれど



それは、まるで あったのか、なかったのか さえ わからないような



はかないじかん。



『すきまのじかん』 Annne herbauts:著  木本栄:訳 ひくまの出版 2002年3月





すきまのじかんの大切さが、身に染みて分かるのは大人になったからかもしれない。





無邪気なうちのお姫様が、そんな時間の存在に気づくのはいつだろうか。







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