音楽の話
音楽の話をしよう
CDを買って聴く。CDが売れた時代、皆が当たり前のように体験していた。学校で習う音楽よりも、街で流れる音楽のほうがよっぽど心惹かれるのは、今風でかっこいいからだろう。若者ウケするメロディライン。歌詞。小・中学生の頃、やっぱりみんなと同じように、メジャーな曲を聴きあさっていたように思う。
徐々に好きな音楽は変わっていった。当時、スーパーカーにドはまりしたせいである。若干、背伸びしながら、そこからつながる音楽を聴いていった。結果、中学・高校とよく聴いていたのは、スーパーカーや中村一義、サニーデイサービス、くるりだった。唯一みんなが知ってるもので好きだったのは、スピッツぐらいだったか。音楽に関しては、友人となかなか共有しづらかった。今でこそ、SNSで簡単につながることができるが、田舎の高校生でそんな音楽を聴いている同級生は皆無だった。
大学に入ってからも細々と聴いてはいたが、「共有できない」ことが、モチベーションを下げていたた。サークルに没頭して、あまり音楽を聴かなくなった。
その熱が再燃したのは、京都のDIYフェスとして有名なボロフェスタのスタッフとして参加してからだった。
フェスと仲間
フェスのボランティアスタッフには、一人で応募した。大学4年次、単位もほぼ揃い就活も終わっていた。暇だった。タダで音楽も聴ける。卒論はボランティア論。とても都合がよかった。よし、やろう。
友達はすぐにできた。共通の話ができるのだから、すぐに気が合う。準備をしているはずなのに、なぜかお酒も適度に入る。ゆるいノリが楽しくて、手作り感を皆が楽しんでいて、簡単に仲間意識は生まれた。こういうふうに、いっしょに楽しめる仲間にもっと早く出会っていたら、どっぷり音楽に浸かった大学生活だったと思う。
最高の音楽
このときのボロフェスタは今でも、ずっと忘れられない。2007年のボロフェスタは西部講堂で行われた最後のボロフェスタになった。フェス直前に、大学のサークル事務局との言い争いでステージの一つがなくなった。そのために、3つのステージで行う演目を、2つのステージで行わなければならず、時間の振りと各所への連絡、看板の作り直しと、とにかく皆奔走した。
アクシデントに見舞われたとき、追い込まれた人のパフォーマンスはとてつもないものになる。主催者の一人、ゆーきゃんが歌った最終日のトリ演奏は、間違いなくベストアクトだった。ゆーきゃん自身もこのときのことが忘れられなかったのか、後に音源を出してくれた。仕事で失敗したとき、自分が辛い思いをしたとき、このCDを聞き返した。失敗して、ボロボロになった人間の強さ、不器用な人が消え入るような小さな声でそれを歌っている。それまで沸いていた観客も、静かに聞き入っている。その空間の音がすべてつまっていた。
でも、それ以上に最高の音楽を聴いた。打ち上げのときだった。とにかく、全てのアクトを時間通り終えて、最高のゆーきゃんの演奏で無事幕を下ろした。鬱憤を晴らすことも含めて、皆酔っぱらった。酔っ払いばかりのなかで、砂埃にまみれた講堂前の広場で、誰ともなく歌を歌い始めた。集まった何人かが演奏を始めた。そして聴こえてきたのは、酔っ払いのギターとトイピアノの音に乗せて歌うゆーきゃんの「エンディングテーマ」だった。コードがあやふやで、トイピアノの音は足りず、とぎれとぎれに歌う、ひどい演奏だったけど、これが「音楽」だ、と思った。この時以上に印象的な音楽を、まだ聴いたことがない。
それからの音楽
東京に出てからも、音楽はますます身近なものになっていった。結婚式の二次会を、ライブハウスで執り行ったこともあって、何度もその小さなライブハウスに通った。(特典として1年間、無料で聴き放題だったのだ。)会社帰りに行ける距離だったので、誰のライブなのか、何も知らずに入ることもあった。アーティストどうしが交流し、その輪が広がる姿を見た。ファンがオーガナイザーになり、イベントを起ち上げていた。売れないアーティストが、いつのまにかCMに出ていた。新しい文化が生まれる場面をいくつも見ることができた。仲の良いアーティストも何人かできて、今も交流がある。全て、東京の良さだと思った。
音楽でつながる友人もたくさんできた。この頃には、mixiやtwitterで簡単に知り合うことができるようになって、とりわけ人の多い東京には、気の合う仲間が多かった。人の多すぎる場所も、こういうときには悪くない。
今も、音楽はとても大切なものだ。娘がずっと小さいころ、寝かしつけるときはいつも音楽をかけていた。娘の気持ちを落ち着かせるため、ではなく、自分の気持ちを落ち着かせるために。自分も眠くてイライラする、なかなか寝てくれない、自分の時間が取れない。そんな気持ちをすべて鎮めてくれた。
うまくいかないとき、落ち込んだとき、集中したいとき、音楽を聴く。どんな作用が働いて、どんな効用があるかは分からない。自分にとって必要だから、そのとき必要な音楽を聴く。
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