コーヒーと


















コーヒーと本







いつからか、コーヒーが大好きになった。勉強するのに、眠くならないように、と飲み始めたのが最初だったけれど、いつのまにかカフェで落ち着いて何かをする、休憩する、本を読む、ときどき勉強もした、そんなことが当たり前になっていた。いろいろなカフェをめぐるのも楽しかった。特に、大学のあった京都にはおいしいコーヒーの飲める、いい雰囲気のカフェがたくさんあった。古本屋をのぞいたあとに、カフェや喫茶店でコーヒーを飲んで今日の戦利品を楽しむ、そんな文学青年をきどってよく本を読んでいた。














今でも、だいたいカフェに行くと本を読んでいる。スマホをいじってるときもあるけれど、なるべく本を読むようにしている。本を読むのは、そこにしか書いてないことがあるからだ。スマホを見ていても、ぼーっと過ごしていても見つからないことが本には書いてある。そして、コーヒーが無いと、すぐにくたびれて寝てしまう。だから、コーヒーと本はセットでなければならない。














コーヒーと恋愛







「コーヒーと恋愛がともにあればいい」。サニーデイサービスの名曲のワンフレーズであり、獅子文六のダメ男小説のタイトルでもある。もちろん、獅子文六をのちに知った。たぶん、いま同年代の音楽好きなカフェ好きなやつはだいたいどっちも知っているだろう。サニーデイサービスの歌詞にはカフェの描写が多い。「歩き疲れたらそこの珈琲屋で、休むふりして他の女の子を見るんだ」。なんか分かる。「覚えてない夢のせいで心が何メートルか沈み込むんだ、熱い濃いコーヒーを飲みたいんだ」。まあそんな感じだよね、と。誰かと一緒にカフェに行くときは、二人のときが圧倒的に多い。ゆっくり長く話すのに、これ以上最適な場所は無い。落ち着いて相手に集中できる。お酒も入っていない。だから、きっとその人のことをもっともよく知ることのできる場所で、恋に落ちやすい場所なのかもしれない。














コーヒーとお菓子







甘いものもよく食べるようになった。コーヒーに良く似合うからだ。おいしいものを食べたら、話もはずむ。頭も冴える。とてもいいことだ。でも、ほとんどの場合は自分にとって、お菓子やケーキは脇役で、コーヒーが主役だと思っている。おいしいケーキはおいしいコーヒーと会話のためにある。














コーヒーと道具







先日、友人からマキネッタをもらったので、濃いコーヒーを楽しんでいるが、ふだんは普通のドリップコーヒーを家では飲んでいる。豆はポーレックスの手挽きミルで挽いている。ドリッパーはmelitaのふつうのもの。コーヒーの淹れ方はアアルトコーヒーの庄野さんが書いた「たぶん彼女は豆を挽く」を読んで覚えた。だから、ミルも中川ちえさんの店で購入した。豆もアアルトコーヒーのものをしばらくこのお店で買っていた。それほど、こだわりのないほうだと思う。道具といっても、これくらいしかない。マキネッタもシンプルな構造でうれしい。コーヒーを淹れる時間はとても好きだ。豆を挽くときに手に伝わる感触も、気持ちがいい。お湯を注いだ後、膨らんでいくコーヒーをじっと見つめて、またタイミングよく注ぐ。最近は、娘もこの儀式が大好きなようで、豆を挽き始めるとすぐに「やりたい」と駆け寄ってくる。やはりコーヒーのふくらみを嬉しそうに眺めている。














コーヒーと、ともに生活している。



真っ黒なコーヒーだけど、たしかに日常に彩りを与えている。
















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