写真のこと


















写真を撮る







カメラを始めたのは、就職してすぐのことだった。東京に出て、最初に買おうと思ったのが、自転車とカメラだった。東京に長くいるつもりはなかった。いろんな風景をいろいろ見ておきたい。記録しておきたい。そんな思いがあった。あるいは、もし東京に長くいるとしたら、どんな街が住みやすいのか。そんなことを知りたかった。自転車があれば、ゆっくりと流れる街の景色を楽しむことができる。カメラがあれば、立ち止まって景色を楽しむことができる。どちらも、全くの素人だったけれど、自転車はルイガノのミニベロを、カメラはフィルムの"natura"。それぞれを購入した。














フィルムカメラ







いま、改めて「写ルンです」が流行っているらしい。僕が、フィルムカメラを購入した2008年はまさに最後のブームの始まりだった。ちょうど学芸大学に「モノグラム」ができて、『カメラ日和』が創刊されて、自由が丘のポパイカメラはどんどん人が集まるようになっていた。そのとき、偶然カフェでアマチュアの写真家と知り合ったことも、趣味として没頭させるひとつのきっかけになった。



ポパイカメラやモノグラムに、何度も現像のために足を運んだ。ずいぶんお世話になったけど、”natura”一台で十分に楽しませてくれたのは、これらの店のおかげだった。技術もセンスも何もない素人の写真でもそれなりに見えたのは、店の現像の仕方がとても上手かったからだと思う。














カメラを持つ理由







フィルムカメラは楽しかったが、結婚して子どもができると、現像しに行く余裕などもすっかりなくなった。時間的にも、金銭的にも。今は、大半の写真をやはり中古で格安購入したオリンパスE-420を使って撮影している。その人がどんなカメラを持つか、その理由はいくつもあると思う。



先日会ったスイス人の友人夫婦はライカのデジタル一眼レフを揃って持っていた。定価で買えば100万円近くする高級機だ。本業がデザイナーで、一生の趣味にしている彼にとっては、それが最高に必要なカメラだ。



たぶん、僕の写真にはそんな高級機も必要ない、高い解像度も必要ない。最近、欲が出て少し物足りなくなっているけれど、それでも今の不自由な古い機種を気に入って使っている。














写真の仕上げ







自分の日常を切り取るのに、高級機は相応しくない。むしろ、最近は簡単なLightroomやphotoshopの機能を使ってわざと写真を汚している。昔に撮ったフィルムカメラのデータを見てみると、今の自分の写真のスタンスは、これと変わらないことに気づく。フィルムカメラで現像したときのざらざらとした仕上げがとても好きだった。デジタルカメラだけど、パキッとした一枚よりも、ざらざらした一枚を求めている。














日常を切り取る







とても、ベタないい方だけど、やはり僕にとってはカメラは日常を切り取るための道具だ。僕の目で見ている日常には、こんなフィルターがかかっている。そうしたフィルターを通して僕が見た景色を表現している。人によってはとても退屈なものかもしれない。好きだと言ってくれたらうれしい。














きれいな写真を撮ることは、とても簡単になった、と思う。一眼レフもコンパクトで価格も安くなった。現像代もかからない。修正やフィルターをアプリで施す、SNSにアップする。とても素敵なことだ。みんながそれぞれの写真を撮ってくれてうれしい。いろんな人の日常を垣間見るのはとても楽しい。ときどき、考えもなく作られた画を見ると悲しくなるけれど。もっと下手でいいから気軽に撮って気軽に見せてくれればいいのに。














Take it easy.







もっと、気楽に、肩肘張らずに写真を撮ろう。Instagramの新しい機能もそんな意味合いで追加されたという。もっと、写真にざらざらとした日常の空気を含ませたい。それは、きっとうまく撮ろうと、構図を意識したり、被写体を定めていても撮れないものだと思う。誰かにむけたメッセージではなく、自分に向けたメッセージとして、ここに記しておく。
















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